流刑地

作品の感想とか諸々、ネタバレありです。

君の話

君の話 (早川書房)

君の話 (早川書房)

「君は君の不幸の中で幸福なのだ」というフランツ・カフカに宛てた友人の手紙の中に書かれていたフレーズを三秋氏はインタビューで引用していたけれど、
スターティングオーバー、三日間の幸福、君の話と読んできて、三秋氏の物語を総称するのに相応しいフレーズのように思う。

大体にして主人公もヒロインも孤独である。
君の話も例に漏れない。
そこら中にありふれた、大多数の人間が持ってるような幸福を得ることができないような。
いや、世の中の普通の幸福を得ることは、実際問題難しいと思っている人間であれば、君の話のストーリーを受け入れられるように思う。
自分が幸福である理由を考えたことがないような人には多分悲しい話なのであろうが、残念ながら私にはこの話がハッピーエンドにしかみえない。
ただ名前を呼んで貰いたいだけ、ほんの少し人の温もりに触れたかっただけ。灯花もきっと千尋もそうだったのだろう。でもただそれだけのことも何故か自分の手の上にはなかったりする。それを補うのに空想をしたのが灯花だった。

空想が色鮮やかになるほど、現実の塗料が無くなっていく。逆に言えば現実の塗料が少ない人間が鮮やかな空想を描ける、あるいは求めるのではないだろうか。
かくいう私も自分が恵まれた人間だと思ったことがない、むしろすすんでそうなったようにすら思う。
だから物語を求める人間であるし、空想する人間である。
三秋氏の小説は大体、自身の辛さみたいなのを読者に伝染させたいという節がある。それがなんというか自分の創作や空想の根底にあるものと近いものを感じる。
伝染される前に同じ病気にかかっていたようなものである。

現実がうまくいかないほど、空想は鮮やかに輝く。
少なくとも私にとっては。
追い詰められてる状況で描いた絵が未だに印象に残ってるように。
そう私も私の不幸の中で幸福である。

君の話の感想というよりは三秋縋作品の感想になってしまった...

君と彼女と彼女の恋

はじめてギャルゲーやった時、一人のヒロインのルートを終えて、疑問に思ったことがある。
さっき愛を誓ったヒロインとは別のヒロインと恋愛するの...?って
わりと感情移入してしまうタイプなので、多少引っかかるところで、だからベタな恋愛ゲームはやらない理由の一つである。

そんな胸中で現れたのが『君と彼女と彼女の恋』だった。
今回で2回目のプレイになる。
例えばヒロインが主人公に選ばれなかったら
例えば永遠を誓ったヒロインがその記憶を持ったまま、別ルートで主人公が別のヒロインと恋愛しているのを見ていたら。
色々な角度からルート管理のギャルゲーに対して、改めて考えさせられるのが今作。
となるとメタな視点も求めてくる。
キャラクターがプレイヤー自身に話しかけてくるわけだ。

曽根美雪は主人公と永遠の愛を誓って彼女のルートはエンディングを迎え、当然プレイヤーはもう一人のヒロインのアオイも攻略する。
結果、美雪はゲームの主人公を幽閉し、エンディングのない二人だけの世界を作って閉じこもる。
そこから中々出してくれないが当然である。
プレイヤーは美雪の永遠の愛を裏切ったからだ。
小ネタだが、その世界から脱出するコードを打ち込む時に諦めると、この世界に残ってくれてありがとうと泣きながら言われる。

選択肢を選ぶこと、それは起こる事象を選ぶことと捨てることを同時に孕む。もしあの時別の選択をしていたらというifを見ることができるのがゲームの良さである。
それでストーリーが鮮やかになることだってある。
でも同時に誰かの思いが叶わなかったことになる。
選択肢を全部選んで、一番良い選択に辿り着く、トゥルーエンドに辿り着くっていうのはそういうことだ。
あの時は選んだあの娘が、トゥルーエンドに選ばれなかったヒロインが、主人公と自分ではない別のヒロインがくっついているのを祝福している。
全ルートを選ぶのってそういうことでもある。
どんなに素晴らしいトゥルーエンドに辿り着いても。
そんなに深く考える必要はない。これはゲームだ創作物だ。でも捨てヒロインなんて言葉、ととのをやっても使えますか?

ともあれ、最後の2択を真剣に悩めた人間がこのゲームに向いてる人だと思います。

ちなみに美雪の記述が多いのはそういうことです。

降らない雪

土地柄めったに雪はふらない。
ただ乾燥した優しさのない風が人としての体温や感情を削っていく。
なにもなかったように過ぎていく毎日はいつか来ることを怯えていた明日の残骸で、今はやがてくる明日に怯えて身動きできない。そんな毎日。
このままではいけないのはわかってるけど、なにもできなくて、たいして残ってもいない気力でやりくりしている。
生きているのも死んでいるのも変わらないのであれば、無理して死ぬ必要もない。
美味しく煙草が吸えたのはいつだったのか。
自分に似合う場所があるはずと期待してしまう。
ずっと埋まらない空っぽの心はいつか埋まるのだろうか。
きっとどんな期待も裏切られるのさ。
何が言いたいかって言うと、何も言えないんだよ。

薄明光線

寒さで目を覚ます日が増えた。
安っぽいクリスマスソングが嫌に耳につく日が増えた。
自分のやっていることがズレている感覚を持つ日が増えた。
橋の向こうの空に見える薄明光線に目を奪われる日が増えた。
冬は順調に私を排除しようとする。

新型コロナが流行して、また感染者数が増えている。もともとコロナウイルスが風邪の原因菌なので、乾燥すると感染しやすいのかなと推察している。
新型コロナで一番体感したのは、怖いのはウイルスではなく人だということ。
あきらかにおかしなことを言う人が増えたきがする。もちろんそれは自分の身近に。
もともと見ていたのが氷山の一角で、コロナの影響で余裕がなくて露見されただけなのかもな。
自分が正解でいるなんて思ってない。そんなのは人生通してそうなんだから変わりようがない。
とはいえ自己評価とは難しいものだ。

去年とどこか変わってしまった日常。
変わっていないはずの空も、川もどこか遠く感じる。
煙草のけむりがぐにゃりと纏わりついてくる。
煙は吐いたのか溜息をついたのか、よく覚えていない。

ナルキッソス スミレ

なんだか最近とてもまいっていて、なにをどうしても気が晴れない。
こういう時に物語に手を伸ばすのが、物語を必要とする人間なのだと思う。

ナルキッソス1,2,姫子エピローグとやってきて、(0もあるけど)ナルキッソスシリーズの終着がスミレかなと捉えていた。
私がナルキッソスとであって何年経つのかわからないがスミレをプレイすることはとても丁重に扱ってきた。
それだけ大事なものに育っていた。
一応今作はねこねこソフトのすみれのあかりが重要キャラになっているが、すみれには触れない。

ナルキッソススミレは今までのシリーズの総まとめだというのをプレイして思った。
死ぬための自己確立、去る者と見送る者の関係それらの描写に徹底してきたのがナルキッソスシリーズだ。
セツミや姫子は平凡な人であっても、少し浮世離れしたように思える。だからこそ彼女達の葛藤や言葉は響いたし、今作でも色濃く彼女達の影響が残っている。

今作の主人公のスミレはうってかわって普通の女の子だ。ただ長いこと引き篭もりをやっていたくらい。
余命宣告をうけてもどこか他人事のように事実を受け入れられていない、今は引き篭もっているけどいつか自分の人生が始まると漠然と思っていた女の子。
スミレはおよそ多くの人間がするであろう一般的な反応と行動をする。基本スミレは状況に流され続けている。
それでもスミレは死ぬための自己確立、言い換えるなら生きた証明を残そうとする。
人生経験の浅い彼女はどうするかの選択肢がない。
スミレがあかりやセツミに出逢っていなかったらどうなっていただろうか。
もっといえばセツミが姫子に出逢っていなかったらスミレはどうなっていただろうか。
死に面しても他人との繋がりは大事なんだと思う。
しかしなにをどうしたってスミレがゲームだけして過ごしてきたことは変わらない。
セツミが呟いた魔法がつかえるかもねという言葉にスミレは縋るしかなかった、洞窟のシーンだ。ナルキッソスでいう魔法とスミレの知ってる魔法はもちろん別だ。
でももし本当に魔法が使えて自分の病気が治ったら、彼女は自分の人生を始めたかったはずだ。あのシーンはスミレが今までの人生を捨てるシーンだ。
その後スミレは家族に安心して過ごせるように生きることを選ぶ。自分のせいでぎくしゃくしてしまった家族にごめんなさいじゃなくてありがとうを伝えて。

ナルキッソススミレで私はなにを感じたか。
ナルキッソスの根幹は揺るがず、富士山に登って神様に文句なんて言えないし、淡路島で自殺もできない。ドラマチックなことなんて起こらない。スミレ自身に強いメッセージはない。ただ今までの人生を後悔しているだけの普通の女の子だからだ。
だからこそ今までのナルキッソスで伝えたかったメッセージをシンプルに提示できた。そしてそれを実践した。
ナルキッソススミレ単体ではナルキッソススミレは成立しない。先のナルキッソスシリーズを内包してるからこそ、スミレのシンプルな終わりが輝く。
ゆえにナルキッソススミレはナルキッソスシリーズの総まとめといえるのではないだろうか。

見送る者も去る者も後悔しないよう、残す者には笑ってあげること。
物事はいつだってシンプルだ。
でもそれを理解するには時間が必要である。

私の人生でこれから何度死に直面するかわからない。
ひどく怯えることだと思う。
でもきっとその時は私の中で生きているセツミや姫子、スミレが寄り添ってくれるのではないだろうか。
後悔のないようにできるように勇気を与えてくれると思う。

冬の足音

台風が気温が持っていってしまった。
安物の革ジャンを取り出して着てみる。
ネットで買ったからサイズがいまいちあってなくて小さかった3年前。余裕を持って着れるようにいつしかなっていた。
今も変わらないのは煙草の煙と重苦しい空だけだ。

白昼夢と青写真をプレイした。上手く感想を言語に出来なかったので、また後日感想を書こうかなと思ってる。
とにかく創作意欲を掻き立てられる作品だった。まだエロゲは素晴らしいぜ。市場規模としては縮小したかもしれないけど、良いものはまだ出てきてる。
良いものは無くならないよ。
元々、思っていたんだけど、形あるものを残したいって願望があった。同人誌とか何でもいい。
自分が作った本ってやつ。
白昼夢と青写真はその願望を刺激してくれた。
でも現実ってのは面倒でさ、仕事しないといけなくてさ。
仕事しててよく思うのさ、何やってるんだろうって、これが私のしたいことかって。
まぁ自分で選んだんだけどさ、感情はそんなに簡単じゃないじゃない?
上司にも言われたさ、君が何をしたいかわからないって。
うるせえ俺も知らねえって思ったけどね。
でも自分の中の今やりたいことができると、中々ね現実と付き合うのが難しいもんだよ。
暫くはオリジナルの絵を描こうかなって思ってる。
多分見てくれる人なんていないと思うけど、そうしたいな。漫画も描きたい。
絵を描き始めた頃の熱量を取り戻したくてさ、その頃の自分と向き合いたい。
できることをやっていくよ。
少しずつでもね。

秋の逡巡

夜中になると、虫の声と涼しげな風が窓から入ってくるようになって煙草によく合う、すっかり秋になった。

季節の変わり目は変調しやすくてどうもいけない。
頭痛はするし、気持ちも陰鬱になる。
職場が移動になって2ヶ月になろうとしている。
どうも小さな常識とか欠落しているようで、欲がない人みたいにどこにいっても言われる。まぁそれでいいんだけど。
でも今、精神面で変化が起こる予感がしている。
こういうタイミングで出会った物語は印象深く残ったりする。丁度、白昼夢の青写真をはじめたところなので、良い変化を与えてくれたらなって少し思う。

イラストも描いている。先々週位に一枚、今は描き途中が一枚。どちらもオリジナルで、自作本のための絵なので、アップする気はない。注力したい。
vtuberのイラストは暫く描かなそうだ。拡散されると嬉しいけど、その先には何もない気がする。

もっと私を理解したいし、そうするための絵の基礎的な部分を見直したい。なんというか旅に出たい気分でもある。行かないけど。
今の心情をどうすれば絵で表現できるんだろうか?
私が満足できるものにするにはなにが足りない?
同じところグルグル回ってても気がつけば一歩進んでいた。そうなりたい。

誰かの一瞬を切り取りたいってずっと思ってる。
絵がうまい人なんてTwitterで石を投げれば当たるほどいる。
私が絵を描いても世界が変わるわけじゃない。
あぁでも描きたいんだ。
時間が足りない。気力も体力も足りない。
色々な作品に触れるのもインプットの一部だ。インプットも足りてない。
でも表現できるツールを持っているのって悪くないよな。
少しずつできることをしていこう。
そうしよう。