流刑地

作品の感想とか諸々、ネタバレありです。

八本脚の蝶

文庫本にして約500頁。
片手で持てる重量。
彼女の最後の2年間の思索の断片。
纏めてしまえば呆気なく思える重量。
真摯にこの本に向き合ったのであれば、この本は氷山の一角でしかなく、背景に莫大な図書館が存在している感覚になるはずだ。
その最深部に辿り着けば彼女の私的価値体系、物語、小さな信仰をようやく理解出来るのだろう。

通して読んだ後の感想を問われれば、打ちのめされたが一番的確ではないだろうか。
読後の感情を断定できないほど、私は混乱していた。この感情に私は出会ったことがないからで、この感情に呼称がないからである。
孤独でも絶望でも希望でも信仰でもない。

私が普遍で誰もが感じていると思っていて、見過ごしていた或いは見ぬふりをしていたものは、普通の人が感じていないものであると告げられた。
そういった見ぬふりしていたものが意識の中の扉だとしたら、彼女はコンコンと扉を叩き、貴方の苦難はここにあると言わんばかりに次々に扉を開いていった。
そしてその先にあるものは。
その先の景色は、自分で見てきてほしいと。
数ある景色の果ての1つが本書の最後であるだろう。
ここまで綴ってきて、何言ってるのかわからないが大多数だろう。
ただきっと、本書を大事にしたいと思った方には幾分伝わるのではないだろうか。

私個人として、倫理や哲学を学ばず、私的経験と物語との出会いで価値体系を構築してきた。
結果、他人に理解される事の方が少なく、自己の意識について考える人間の方が稀なのだと知ったのは、とある友人と出会ってからである。(私の人生において、かなり後半である)
その他、諸々の私的価値観については、本書で言語化して頂いていた部分は多く、心が暴かれるようであった。
読後、無防備に晒された私の精神は彷徨うしかなかったのだ。
であればなにかに縋るのが救いだろう。
それでは二階堂氏と対話したとしたら良かったのか。
それでも、彼女と会話したとして、話はあわないのだろう。
彼女は激しく祈り続け、きっと私の祈りに応えてくれないだろうから。

体系的に感想を残すには、私の学が足りず出来ない。これだけは断言できる。
きっと彼女の開けた扉の先に進んで行かざるをえない。
その結果、この身を捨てることになっても。
それは私の結論なのだから。