流刑地

作品の感想とか諸々、ネタバレありです。

ナルキッソス スミレ

なんだか最近とてもまいっていて、なにをどうしても気が晴れない。
こういう時に物語に手を伸ばすのが、物語を必要とする人間なのだと思う。

ナルキッソス1,2,姫子エピローグとやってきて、(0もあるけど)ナルキッソスシリーズの終着がスミレかなと捉えていた。
私がナルキッソスとであって何年経つのかわからないがスミレをプレイすることはとても丁重に扱ってきた。
それだけ大事なものに育っていた。
一応今作はねこねこソフトのすみれのあかりが重要キャラになっているが、すみれには触れない。

ナルキッソススミレは今までのシリーズの総まとめだというのをプレイして思った。
死ぬための自己確立、去る者と見送る者の関係それらの描写に徹底してきたのがナルキッソスシリーズだ。
セツミや姫子は平凡な人であっても、少し浮世離れしたように思える。だからこそ彼女達の葛藤や言葉は響いたし、今作でも色濃く彼女達の影響が残っている。

今作の主人公のスミレはうってかわって普通の女の子だ。ただ長いこと引き篭もりをやっていたくらい。
余命宣告をうけてもどこか他人事のように事実を受け入れられていない、今は引き篭もっているけどいつか自分の人生が始まると漠然と思っていた女の子。
スミレはおよそ多くの人間がするであろう一般的な反応と行動をする。基本スミレは状況に流され続けている。
それでもスミレは死ぬための自己確立、言い換えるなら生きた証明を残そうとする。
人生経験の浅い彼女はどうするかの選択肢がない。
スミレがあかりやセツミに出逢っていなかったらどうなっていただろうか。
もっといえばセツミが姫子に出逢っていなかったらスミレはどうなっていただろうか。
死に面しても他人との繋がりは大事なんだと思う。
しかしなにをどうしたってスミレがゲームだけして過ごしてきたことは変わらない。
セツミが呟いた魔法がつかえるかもねという言葉にスミレは縋るしかなかった、洞窟のシーンだ。ナルキッソスでいう魔法とスミレの知ってる魔法はもちろん別だ。
でももし本当に魔法が使えて自分の病気が治ったら、彼女は自分の人生を始めたかったはずだ。あのシーンはスミレが今までの人生を捨てるシーンだ。
その後スミレは家族に安心して過ごせるように生きることを選ぶ。自分のせいでぎくしゃくしてしまった家族にごめんなさいじゃなくてありがとうを伝えて。

ナルキッソススミレで私はなにを感じたか。
ナルキッソスの根幹は揺るがず、富士山に登って神様に文句なんて言えないし、淡路島で自殺もできない。ドラマチックなことなんて起こらない。スミレ自身に強いメッセージはない。ただ今までの人生を後悔しているだけの普通の女の子だからだ。
だからこそ今までのナルキッソスで伝えたかったメッセージをシンプルに提示できた。そしてそれを実践した。
ナルキッソススミレ単体ではナルキッソススミレは成立しない。先のナルキッソスシリーズを内包してるからこそ、スミレのシンプルな終わりが輝く。
ゆえにナルキッソススミレはナルキッソスシリーズの総まとめといえるのではないだろうか。

見送る者も去る者も後悔しないよう、残す者には笑ってあげること。
物事はいつだってシンプルだ。
でもそれを理解するには時間が必要である。

私の人生でこれから何度死に直面するかわからない。
ひどく怯えることだと思う。
でもきっとその時は私の中で生きているセツミや姫子、スミレが寄り添ってくれるのではないだろうか。
後悔のないようにできるように勇気を与えてくれると思う。