流刑地

作品の感想とか諸々、ネタバレありです。

劇場版Fate/stay night HF spring song観た

映画館で映画をみるとき、私はとりあえずキャラメルポップコーンとコーラMサイズを注文する。
劇場版の雰囲気を楽しみたいって理由だけだが。
とはいえ大体8割食べれれば満足する。

さて、fateシリーズは長年、オタクコンテンツとして君臨しており、エロゲやアニメ各種、或いはFGOから入ったと入口は人様々であろう。
私はDEEN版のアニメ(セイバールート)からである。
最初は主人公にイライラした。くらいの印象。
それでも劇場版UBW、zero、アニメ版UBWとみてきた。
zeroはとても好きだった。とはいえ、シナリオライターが違えばfateの本質を分かったと言えるのか疑問だった。
UBWを観てもいまいち刺さらなく、まぁ人気が出るのは分かった。
ここまでの作品だと、単純にfateは英霊ありきのものである。
と刷り込まれるし、そう思っていた。

HFをみて、序盤からランサーが、キャスターが、更にはセイバー、バーサーカー、アーチャーがあっけなく脱落していく。あんなに活躍してた英霊達がだ。
逆にアサシン、ライダーという日の目を見ないクラスが残った。
どーなんのよ...とここから私のFateの法則が乱れる。

士郎は主人公で凛はヒーローで、桜はヒロイン。
HF見終えてからそう思った。
色々書いても粗が出るだけなので簡潔にいきたい。
これは少年と少女の物語だ。
登場人物全員の運命が入り乱れた一つの夜の話。
英霊とか魔術とか、それは要素でしかない。
私は何年も勘違いをしていたのだ。

桜があぁなってしまったのは本心の一部の露呈であって、結果何度も自己矛盾と向き合っている。
彼女の人生は不幸だったかもしれない。でも彼女は欲しいものは全て手にしていたのだ。
悲しみを抱えすぎて、幸せを持ちきれなかった。春はゆくの歌詞にもあるが、まさにそれがあの桜であろう。
そんな桜を守り通すと誓った士郎は主人公だった。
別ルートの士郎はそもそも、人を助けるなら自分が死んでも構わないという考えだった。
セイバールートでイライラしたのはそれだった。何もできないのに先陣きるし...理解できなかった。

ところがHFの士郎は違った。

桜を助け、言峰を倒し、あとは大聖杯を壊すだけ。
それでもあと一回投影を行えば死ぬだろうという状況になって、彼は震え出す。その姿は、まだ生きていたいと願う普通の少年だった。
生きて傍で守りたい者ができた。でも多分理由はそれだけじゃないんだろうな。
ここでなんだか涙が出てしまった。
あぁ、お前生きたいって思えるようになったんだなって、私のfate遍歴からいえば数年越しの士郎の成長を見届けたのだ。

ラストシーンは言うまでもない。
二人が一緒に一歩踏み出すシーンで終わってからは放心していた。
気がつけばほとんど手つかずのポップコーンが私の横にあった。
劇場を出て、温い風が頬を撫でる。
季節も少しずつ変わろうとしている。
今度の春は桜を見れるだろうか、そんなことを考えていた。