流刑地

作品の感想とか諸々、ネタバレありです。

ナルキッソス

桜も気がつけば終わってしまい、5月も近いというのに肌寒い日が多く感じる。春すら感じる余裕もなくなったのかなぁと少し寂しく思う。

そんな春に届かず枯れてしまう花がある。
水仙ナルキッソスである。

ナルキッソスというゲームを知っているだろうか。
フリーゲーム版が2005年に配信された、ノベルゲームである。
私は現時点でナルキッソス1,2,姫子エピローグを終えたところである。
作者は自分の死生観を語っただけと称しているこの作品。

あなたは自分の死生観について考察した事があるだろうか?
ここで私の過去の話をしたい。
大学生時代、死にそうになったことがある。病院に運ばれてどうのこうの...
あの頃は生きてることの辛さと死ぬことの辛さを天秤にかけていたところもあった。当時の死生観なんてそんなもんだった。
消極的というか自ら選択する意思なんてなかった。
私の人生はこんなもんである。今ではまぁぼちぼち生きている。
重要なのはナルキッソス初プレイをこの出来事の前、2回目をその後にしていて、どちらも感想が違うというか作品との向き合い方が違うことである。

初プレイ時は姫子がヘルパーしていた女の子の真摯さに心打たれたし、せつみの最後の独白に近いものにはやるせなさを感じた。
2回目のプレイでは姫子というキャラクターに深く入れ込んだ。姫子エピローグをプレイしたのがその証拠でもある。
初回と2回目の着目点の違い
初回は単純に切ない話という感想だったが、2回目は自分自身の死生観とも向き合いながらプレイした。
多分、己の死生観について深く考えたことがあるかどうかでこの作品の感想も大きく変わるといえるだろう。私がそうであったように。


彼女達は死に面して尚、自ら選択することを大事にしている。姫子はセツミに自ら選択することを説いていたし、何を選んでも良いように準備をして去っていった。当の姫子は富士山で自決することをやめてから自分で決めたルールを捨て、残される人々にこれから先、上手にやっていけるよう色々残すことを選択した。
実際にナルキ2ではフランダースの犬をモチーフにしてそれぞれをネロ、パトラッシュ、アロアと立場を分けていたが、エピローグではそれらが一切出てこないのは、姫子の意識の変化とも言えるだろう。姫子自身は最初から最後まで選択し続けた意思の強さがあった。だからこそ彼女が魅力的にみえるのかもしれない。

ナルキで一番答えが出せないのがセツミの選択であるだろう。
ナルキ1において、家で死ぬのも病院で死ぬのも嫌。というのがセツミのスタンスだった。消極的であったのはたしかだったが、主人公に連れ出されるのに応じ、ナルキ2で姫子から受け継いだ地図を姫子と同じように暗記し、5万円も持ち出していたのを考えると連れ出してくれる人を待っていただけで、自分の終わりは既に選択していたのかもしれない。
彼女の選択は自殺であった。
自殺の是非については各々あると思うが、自殺する者にも背景がある。セツミについていえば己の運命を受け入れ続けるだけで、彼女が人生を選ぶことなんてできない中、最後だけは自分の意思で選択し、運命に最後だけ抗い、消極的な彼女が積極的な選択をしたというのならば、その選択に異を唱える事ができるだろうか。
とはいえ自殺に関しては諸々のナルキのレビューをみてもある通り、受け入れられない人もいる。ゆえに安易に答えが出せない面があるのも事実である。
ただ彼女達は自分の最後どうあるかをしっかりと選択した。彼女達は死ぬことが目前にあった人生であったが、彼女達は不幸であっただろうか?
私はそうは思えない。


長々と書いてきたが私がナルキを通して得たものは、「誰が為にとは自分の為だと思う。でもその自分も他人なくしてはならない」
ということである。これはあとがきでライターが述べたものだが、ナルキ通して言えることでもある。
自分のやりたいことをやり続ける姫子も、結果的に他人の為に動いていて、セツミが自殺を選んだのも一見利己的だが、最後は自分で決めなさいという姫子との約束を守ったとも言える。
自分という存在は他人なくしてはありえない。
自分の為にやっていたことが他人の為にもなった。
そうありたいと思うし、世界が少しでもそうあればまだまだ捨てたもんじゃないよなぁなんて思う。
(これを書ききるのになんとなく50日かかってしまった)