流刑地

作品の感想とか諸々、ネタバレありです。

トップをねらえ!

あ、そういえばみてねえや。
ぐらいに軽い気持ちでみた。

軽い気持ちでみていいあれじゃなかった。
1話はどこかでみたことがあるようなパロディー色が強く、とっつきやすい造りになっている。
が、4話あたりから流れが大きく変わってくる。5話の合体シーンや最終話の特殊演出、オカエリナサイはもう語る必要はないだろう。
トップをねらえ!の重要な部分として、
パロディが多い今作だが、パロディをオリジナルに昇華させ、やってみたいことをやりきったという勢いだろう。
やりたいことをやるという土台があって、それを魅せるにはどうするか、どうすればみてもらえるかを積み上げた、よく考えられた勢いを感じた。
結果、後のロボットアニメに大きな影響を与えたのは言うまでもないだろう。


それじゃあ続編のトップ2も面白いとふんでみてみた。
トップをねらえの要素はあるし、正当な続編作であるのはわかる。
わかるのだが、トップをねらえ!のファンが造ったパロディー作感が強い。
勢いはある、だが勢いでストーリーの粗さを誤魔化しているようにみえる。
例えば終盤ラルクがノノに友達になって欲しかったのにというが、そこまでラルクがノノを思っている描写が薄く、直前に回想を入れることで補完してたり、ニコラの扱いが雑だったりする。
あとはバスターマシンが妙に神格化されていたのも気になる。
「本物のバスターマシンパイロットは、本物のノノリリは、心にバスターマシンを持っているのだから…。」
とはいうが、わかるようでわからない。絶対的な強い心みたいなニュアンスではあるが、そもそもトップをねらえ!でのガンバスターの存在がノリコを鍛えたわけじゃないし、人間ドラマの中でノリコは成長していったように思う。バスターマシンありきの話ではなかったはずである。
「強さは身体の大きさじゃない。
心の力だ。そうなんだろ、ノノ!それが、努力と根性だ!」
ラルクは終盤で言う。雰囲気で納得してしまうが、努力、根性はトップをねらえ!ではキーワードだが、ラルクが語るには、それまでの描写では説得力にかける。

総じて、トップをねらえとはバスターマシンとはこうあるべきという監督の中で記号化された思考が強すぎるのである。
それを勢いで納得させようとするのだが、その土台をそれまでに描写できていない。
勢いも度が過ぎればただのデタラメである。
トップをねらえ!という看板を外せば6話という短い時間でよく作られているのだが、結局パロディのパロディぐらいの薄っぺらさを感じてしまうし、なにがやりたかったのか伝わってこなかった。
しかし、今作の後にグレンラガンが制作された。そうであれば同監督の中で昇華されたと考えられる。
ならばまたトップ2の評価も好意的なものとなる。

ともあれ、名作とは語り継がれるものであり、制作後数十年たった今、はじめて見ても感動を与えられるものである。